おはようございます。
今朝の東京は薄曇りといった感じです。
ほとんど晴れに近そうです。
お天気になりそうな気配です。
今日は東京にいます。
当会の役員さんがお家を建てられて、新築祝いです。
それ以外にお仕事などが入っています。
そのために、昨晩新幹線に乗って来ました。
新幹線に乗る前には、鑑定をしてきました。
お水取りをしたい、というかたでした。
お水取りの良さをお話ししました。
きっと今日のブログを見てくれるでしょう。
今までのブログの過去記事を読んで下さい。
色々と方鑑学のことやお水取りのこと、吉方移転のことなどを書いています。
読んで頂けると、方鑑学の良さをわかるでしょう。
お話しの最後のほうでですね。
そのかたがボソッと言いました。
「私はツイテナイんですよね。」と。
これについて、お話ししたんですが。
そのお話しを再度ここでしたいと思います。
「ツイテイル」
「ツイテナイ」
どう思うかはその人次第なのですが。
ここが本当に大きな差を生みます。
それは心の持ちようなのです。
「ツイテナイ」と思っている人は、何が起こってもツ「イツイテナイ」と思ってしまいます。
自己嫌悪となります。
ところが、逆にですね。
「ツイテイル」と思っている人は、何が起こっても「ツイテイル」と思います。
「ツイテイル」から嬉しいという気持ちになります。
すると、ありがたいという気持ちが起こります。
ありがたいという感謝の気持ちがいいんですね。
感謝するということです。
この感謝の気持ちは、みんなに発せられます。
こんなことがあって、ありがたい。
ありがたいことを起こしてくれた人に感謝。
それを感じられた自分に感謝。
毎日一緒に生活している家族に感謝。
生んでくれた親に感謝。
大きくなるまで教えてくれた先生たちに感謝。
仲良くしてくれているお友達に感謝。
一緒に働いてくれている同僚に感謝。
陰日なたとなり、協力や応援をしてくれた人々に感謝。
そういう感謝の気持ちが、自分から発しています。
ここからちょっとの間は私の個人的な考え方なのですが。
方鑑学が言っているわけではありません。
この感謝の気持ちというものは、光りなのではないでしょうか。
この光りが、愛という輝くまぶしいもの。
この光が自分から発すると、世界を明るくする。
だから、感謝している人は明るい世界を見る。
そして、この光りは社会、世界へ向けて出ていくのですが。
必ず、この光が戻ってくる。
愛が発せられると、愛となって戻ってくる。
そういうことなのだと、私は思っています。
あくまで、個人的な考え方なんですよ。
方鑑学が直接的にそう言っているわけではないです。
でも、方鑑学だけでなく、宗教的なことやスピリチュアルなどでもですね。
何にでも言えるのですが、突き詰めていくとそうゆうことなんじゃないか。
自分が見たいものしか、人は見ることが出来ない。
自分が理解していないものを認識出来ない。
それも同じことなんじゃないか。
だって、自分が発した光で明るいところは見えます。
明るいのですから。
ところが、自分が出した光りが届かないところは暗いから見えない。
当たり前のことです。
だから、自分が発した光が少ない人は見えている世界も少ない。
世界が小さくしか見えない。
世界は小さいと錯覚してしまう。
そういうことなんじゃないか。
まぁ、個人的な意見を書きましたけれど。
日曜日の朝から失礼しました。
そういう考え方もあるんじゃないですか。
という程度で聞いて下さいね。
話を戻しますね。
感謝の気持ちですけれど。
自分にプラスになってくれている人に感謝する。
そういう気持ちって、自然に湧くと思うのですよ。
でも、最近よく言われますが。
自分の着ている服はどうやって出来たか?
さっき食べた食事はどうやって出来たか?
原材料を作った人がいます。
それを運んだ人がいます。
競りをした人がいます。
それを加工した人がいます。
そして販売した人がいます。
多くの人がいて、ようやく一着の服が私の手元にやってきた。
食事の一品が目の前にある。
色んな人のお陰なのです。
たくさんの人に感謝しないと服一着を着ることが出来ない。
たくさんの人に感謝が無いと、パンツ一枚を履けませんよね。(笑)
ライバルに感謝するのは難しい時もあります。
競っているのですから、感謝するより先に「このクソ野郎」と思うことが多い。
※汚い言葉を使ってすみません。
何とかあいつより良い成績を出してやろう。
あいつにだけは負けたくない。
そうやって思いますよね。
でもね。
やっぱりライバルは最高のプレゼントなのではないでしょうか。
自分を高めるためにその人がやって来てくれた。
感謝してもしきれない存在なのですよ。
嫌なことを言う人に感謝するのは難しいですね。
ところが、嫌なことを言う人も役割を演じているだけのことです。
しかも嫌な役回りを買ってでているのですよ。
嫌なことを言う人は世界総ての人から嫌なやつだ言われているわけではありません。
家族だったり、友達だったり。
良く言う人もいます。
「あの人は悪い面もあったけれど、こういう良い面も持っていた」と。
自分にとっては、悪い面を見せてくれていた。
人間誰でも良い面を見せたい。
そう思うはずなのに。
わざとですね。
悪い面を見せてくれている。
相手からしたら大変なことですよね。
そういう嫌なことを言ってくれる人にこそ、感謝する。
そういう気持ちが大事なんじゃないですか。
ごめんなさいね。
個人的な見解が、話の中にたくさん入ってしまったようですが。
そういう考え方もあるってことで。
ただですね。
そういう感謝の気持ちは、人に届きます。
気持ちが言葉になり。
そして、言葉が行動になります。
感謝の気持ちを持つとですね。
言葉が綺麗になりますよ。
だって、ありがたいという気持ちが心の中から湧いてくるのですから。
ありがたいという気持ちから出てくる綺麗な言葉を使っているとですね。
感謝の行動が出来るようになりますよ。
すると、その感謝は巡り巡ってですね。
自分にまた戻ってきます。
感謝したいことがたくさん自分にやってくる。
それは池に投げた石が出した波紋のように。
池の端まで行ったら、波紋はまた戻ってきます。
そういう気持ちになれるのは、心が落ち着いているということなんです。
心が落ち着いて無い時には、そういう気持ちになかなかなれません。
心を落ち着かせるということは大事なんですね。
座禅を組むのも良いでしょう。
瞑想するのも良いでしょう。
ヨガをするのも良いでしょう。
ラフターヨガをするのも良いでしょう。
この世にはいっぱい良いことがあります。
自分に合ったものをすると良いでしょう。
その中で、お水取りというのも本当にお勧めなんですよ。
心が落ち着いたり、気持ちが前向きになりますね。
しかも、色々な現象として良いことが現れます。
運が上がっていくのがわかるというのでしょうか。
「ありがとう」と言うと、運が上がります。
「ツイテイル」と言うと、運が上がります。
綺麗な言葉を使うと、運が上がります。
人のために何かをすれば、運が上がります。
見返りを求めないですればですよ。
運が上がると、なぜかポジティブになります。
運が上がっている人なのに、ネガティブに考えている人というのはあまりいません。
そうは出来ないからなんですね。
でも、ネガティブも考えようです。
自分がダメだというように考えるのではなくて。
ネガティブな考え方は、石橋を叩いてる。
だから、失敗を避けてくれる。
石橋を叩きすぎて、石橋自体を壊してしまう。
ここまですると、ちょっとね。
そうは思いますが。(笑)
お水取りをすると、自然とポジティブになっていく。
お水取りの効用は、そこが良いところなんだと感じています。
そう感じていますし、不思議とそうなっちゃうことです。
目に見えない力が働いているのは、確実です。
心だって見えないじゃないですか。
満員電車で隣に乗っている人が何を考えているか、なんてわからない。
だって、心は見えませんからね。
でも、確実にあるものでしょ。
感謝の気持ちだって、目に見えません。
形とする。
ものを贈る。
すると、目に見えるものにはなります。
けれども、気持ちは違うでしょ?
こういう形として表現が出来るというだけです。
目に見えない力を感じる感性を磨くといいのかもしれないですね。
いっぱい色々お話ししちゃいましたね。
そろそろ、役員さんたちもいらっしゃる時間です。
数名集まってから、出かけてきます。
では、皆さんも楽しい日曜日をお過ごし下さい。
ボタンを押して頂いて、毎日感謝しています。
PCのかたはぜひお願いします。スマートフォンでも大丈夫みたいです。
ポチッとを宜しくお願いします。
今朝の東京は薄曇りといった感じです。
ほとんど晴れに近そうです。
お天気になりそうな気配です。
今日は東京にいます。
当会の役員さんがお家を建てられて、新築祝いです。
それ以外にお仕事などが入っています。
そのために、昨晩新幹線に乗って来ました。
新幹線に乗る前には、鑑定をしてきました。
お水取りをしたい、というかたでした。
お水取りの良さをお話ししました。
きっと今日のブログを見てくれるでしょう。
今までのブログの過去記事を読んで下さい。
色々と方鑑学のことやお水取りのこと、吉方移転のことなどを書いています。
読んで頂けると、方鑑学の良さをわかるでしょう。
お話しの最後のほうでですね。
そのかたがボソッと言いました。
「私はツイテナイんですよね。」と。
これについて、お話ししたんですが。
そのお話しを再度ここでしたいと思います。
「ツイテイル」
「ツイテナイ」
どう思うかはその人次第なのですが。
ここが本当に大きな差を生みます。
それは心の持ちようなのです。
「ツイテナイ」と思っている人は、何が起こってもツ「イツイテナイ」と思ってしまいます。
自己嫌悪となります。
ところが、逆にですね。
「ツイテイル」と思っている人は、何が起こっても「ツイテイル」と思います。
「ツイテイル」から嬉しいという気持ちになります。
すると、ありがたいという気持ちが起こります。
ありがたいという感謝の気持ちがいいんですね。
感謝するということです。
この感謝の気持ちは、みんなに発せられます。
こんなことがあって、ありがたい。
ありがたいことを起こしてくれた人に感謝。
それを感じられた自分に感謝。
毎日一緒に生活している家族に感謝。
生んでくれた親に感謝。
大きくなるまで教えてくれた先生たちに感謝。
仲良くしてくれているお友達に感謝。
一緒に働いてくれている同僚に感謝。
陰日なたとなり、協力や応援をしてくれた人々に感謝。
そういう感謝の気持ちが、自分から発しています。
ここからちょっとの間は私の個人的な考え方なのですが。
方鑑学が言っているわけではありません。
この感謝の気持ちというものは、光りなのではないでしょうか。
この光りが、愛という輝くまぶしいもの。
この光が自分から発すると、世界を明るくする。
だから、感謝している人は明るい世界を見る。
そして、この光りは社会、世界へ向けて出ていくのですが。
必ず、この光が戻ってくる。
愛が発せられると、愛となって戻ってくる。
そういうことなのだと、私は思っています。
あくまで、個人的な考え方なんですよ。
方鑑学が直接的にそう言っているわけではないです。
でも、方鑑学だけでなく、宗教的なことやスピリチュアルなどでもですね。
何にでも言えるのですが、突き詰めていくとそうゆうことなんじゃないか。
自分が見たいものしか、人は見ることが出来ない。
自分が理解していないものを認識出来ない。
それも同じことなんじゃないか。
だって、自分が発した光で明るいところは見えます。
明るいのですから。
ところが、自分が出した光りが届かないところは暗いから見えない。
当たり前のことです。
だから、自分が発した光が少ない人は見えている世界も少ない。
世界が小さくしか見えない。
世界は小さいと錯覚してしまう。
そういうことなんじゃないか。
まぁ、個人的な意見を書きましたけれど。
日曜日の朝から失礼しました。
そういう考え方もあるんじゃないですか。
という程度で聞いて下さいね。
話を戻しますね。
感謝の気持ちですけれど。
自分にプラスになってくれている人に感謝する。
そういう気持ちって、自然に湧くと思うのですよ。
でも、最近よく言われますが。
自分の着ている服はどうやって出来たか?
さっき食べた食事はどうやって出来たか?
原材料を作った人がいます。
それを運んだ人がいます。
競りをした人がいます。
それを加工した人がいます。
そして販売した人がいます。
多くの人がいて、ようやく一着の服が私の手元にやってきた。
食事の一品が目の前にある。
色んな人のお陰なのです。
たくさんの人に感謝しないと服一着を着ることが出来ない。
たくさんの人に感謝が無いと、パンツ一枚を履けませんよね。(笑)
ライバルに感謝するのは難しい時もあります。
競っているのですから、感謝するより先に「このクソ野郎」と思うことが多い。
※汚い言葉を使ってすみません。
何とかあいつより良い成績を出してやろう。
あいつにだけは負けたくない。
そうやって思いますよね。
でもね。
やっぱりライバルは最高のプレゼントなのではないでしょうか。
自分を高めるためにその人がやって来てくれた。
感謝してもしきれない存在なのですよ。
嫌なことを言う人に感謝するのは難しいですね。
ところが、嫌なことを言う人も役割を演じているだけのことです。
しかも嫌な役回りを買ってでているのですよ。
嫌なことを言う人は世界総ての人から嫌なやつだ言われているわけではありません。
家族だったり、友達だったり。
良く言う人もいます。
「あの人は悪い面もあったけれど、こういう良い面も持っていた」と。
自分にとっては、悪い面を見せてくれていた。
人間誰でも良い面を見せたい。
そう思うはずなのに。
わざとですね。
悪い面を見せてくれている。
相手からしたら大変なことですよね。
そういう嫌なことを言ってくれる人にこそ、感謝する。
そういう気持ちが大事なんじゃないですか。
ごめんなさいね。
個人的な見解が、話の中にたくさん入ってしまったようですが。
そういう考え方もあるってことで。
ただですね。
そういう感謝の気持ちは、人に届きます。
気持ちが言葉になり。
そして、言葉が行動になります。
感謝の気持ちを持つとですね。
言葉が綺麗になりますよ。
だって、ありがたいという気持ちが心の中から湧いてくるのですから。
ありがたいという気持ちから出てくる綺麗な言葉を使っているとですね。
感謝の行動が出来るようになりますよ。
すると、その感謝は巡り巡ってですね。
自分にまた戻ってきます。
感謝したいことがたくさん自分にやってくる。
それは池に投げた石が出した波紋のように。
池の端まで行ったら、波紋はまた戻ってきます。
そういう気持ちになれるのは、心が落ち着いているということなんです。
心が落ち着いて無い時には、そういう気持ちになかなかなれません。
心を落ち着かせるということは大事なんですね。
座禅を組むのも良いでしょう。
瞑想するのも良いでしょう。
ヨガをするのも良いでしょう。
ラフターヨガをするのも良いでしょう。
この世にはいっぱい良いことがあります。
自分に合ったものをすると良いでしょう。
その中で、お水取りというのも本当にお勧めなんですよ。
心が落ち着いたり、気持ちが前向きになりますね。
しかも、色々な現象として良いことが現れます。
運が上がっていくのがわかるというのでしょうか。
「ありがとう」と言うと、運が上がります。
「ツイテイル」と言うと、運が上がります。
綺麗な言葉を使うと、運が上がります。
人のために何かをすれば、運が上がります。
見返りを求めないですればですよ。
運が上がると、なぜかポジティブになります。
運が上がっている人なのに、ネガティブに考えている人というのはあまりいません。
そうは出来ないからなんですね。
でも、ネガティブも考えようです。
自分がダメだというように考えるのではなくて。
ネガティブな考え方は、石橋を叩いてる。
だから、失敗を避けてくれる。
石橋を叩きすぎて、石橋自体を壊してしまう。
ここまですると、ちょっとね。
そうは思いますが。(笑)
お水取りをすると、自然とポジティブになっていく。
お水取りの効用は、そこが良いところなんだと感じています。
そう感じていますし、不思議とそうなっちゃうことです。
目に見えない力が働いているのは、確実です。
心だって見えないじゃないですか。
満員電車で隣に乗っている人が何を考えているか、なんてわからない。
だって、心は見えませんからね。
でも、確実にあるものでしょ。
感謝の気持ちだって、目に見えません。
形とする。
ものを贈る。
すると、目に見えるものにはなります。
けれども、気持ちは違うでしょ?
こういう形として表現が出来るというだけです。
目に見えない力を感じる感性を磨くといいのかもしれないですね。
いっぱい色々お話ししちゃいましたね。
そろそろ、役員さんたちもいらっしゃる時間です。
数名集まってから、出かけてきます。
では、皆さんも楽しい日曜日をお過ごし下さい。
ボタンを押して頂いて、毎日感謝しています。
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